大阪高等裁判所 平成元年(う)910号 判決 1992年8月26日
本籍
大阪市中央区上本町西二丁目七二番地
住居
同区瓦屋町一の一四の一〇
会社役員
中谷善秋
昭和一九年一一月二三日生
右の者に対する法人税法違反、物品税法違反被告事件について、平成元年七月六日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 小池洋司 出席
主文
原判決中被告人に関する部分を破棄する。
被告人を懲役二年及び罰金二億円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金四〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人和島岩吉、同東畠敏明、同桜井健雄、同黒川勉、同正木孝明連名作成の控訴趣意書及び弁護人鎌倉利行、同東畠敏明、同桜井健雄、同黒川勉、同正木孝明連名作成の控訴趣意補充書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官藤村輝子作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中、理由不備ないし理由齟齬の主張について
論旨は要するに、原判決は「法令の適用」の項において、法人税法違反の所為につき同法一五九条一項を摘示しているものの同条が引用する同法七四条一項二号を摘示していないから、理由不備の違法があり、また、物品脱法違反の所為につき同法四七条一項をも摘示しているところ、被告人は「罪となるべき事実」記載のとおり東京パブコ株式会社の代表者等ではないから、被告人のこの所為に同条を適用するのは理由齟齬である、というのである。
そこで、所論及び答弁にかんがみ検討するのに、まず、所論が指摘する法人税法七四条一項二号は、ほ脱した法人税額の種類を示す規定であり、同法一五九条一項違反の罪の構成要件そのものを示す規定でもなければ、もとより法定刑を示す規定でもないから、この罪の適条として所論法条を摘示する必要がないと解され、また、本件物品税法違反の罪は身分のない被告人が物品税法四七条一項所定の身分がある共犯者古田(東京パブコ株式会社の代表者)の犯行に加功することによって成立する(刑法六五条一項)のであるから、被告人の罪の適条としては共犯者古田の犯行について必要とされる所論法条をも摘示する必要があると解され、してみると、論旨はいずれもその前提を欠くから、失当である。
控訴趣意中、法令適用の誤りの主張について
論旨は要するに、被告人の法人税法違反及び物品税法違反につき、これらの罪の故意は所得金額ないし課税標準額の認識を必要としており、これを欠けば、ほ脱犯は成立せず、したがって、「不正の行為」によって免れると考えていた税額と実際に免れた税額とに差異がある場合は、所得金額ないし課税標準額の認識を上回る部分についてはほ脱の故意がなく、ほ脱犯は成立しないと解されるところ、本件にあっては、共犯者古田らにおいて真の所得金額ないし課税標準額を秘匿しており、被告人に対しては圧縮された額を知らさせて脱税を依頼してきたので、被告人が「不正の行為」によって免れると考えていた税額は実際に免れた税額より少なく、かかる場合被告人の認識を超える所得金額ないし課税標準額に相応する脱税額については被告人は刑事責任を負わないと解すべきであるから、これらについても刑事責任を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈・適用の誤りがある、というのである。
そこで、所論及び答弁にかんがみ記録を調査して検討するのに、本件ことに法人税法違反事件については、被告人の加功の態様からして各社の実際の所得と被告人が知らされていた、あるいは推知していた所得とに差異があることが窺え、したがってまた、原判示各会社の実際の所得を知っていた共犯者古田らと脱税額についての認識に食い違いがあったことが窺えるのであるが(ことに東京パブコ株式会社及び株式会社エル・アイ・シーの所得については古田において事前に利益圧縮をした額を被告人に知らせていたことが証拠上明白である。)、共犯者間に所得金額ないし課税標準額の認識に差異があり、したがってまた、脱税額の認識に食い違いがあったとしても、その錯誤は共犯者(古田)が実際に発生させた結果(この結果は古田と被告人の脱税の共謀と因果関係があることはいうまでもない。)についての被告人の共犯の成立を妨げるものではない。すなわち、被告人も脱税全額について刑事責任を負うと解されるから、原判決には所論のいう法令適用の誤りは認められず、論旨は理由がない。
控訴趣意中、法令適用の誤りないし事実誤認の主張について
論旨は要するに、東京パブコ株式会社に関する法人税法違反(原判示第一の二)につき、原判決は所得金額算出の基礎となる損金の認定にあたり、申告から除外された売上に対する物品税を損金として減算していないところ、これは法人税法二二条三項二号の解釈を誤りひいては所得金額及び税額につき事実を誤認したものである、また仮に、税法の解釈としては原判決のいうとおり、この物品税が損金に当たらないとしても、税法違反事件の刑事裁判においては所得の認定にあたり実額の認定が必要と解されるから、実額の認定をするに際しては申告から除外された売上を損益計算法により認定し、これに対する物品税を損金として減算しなければならないはずである、けだし、そうしない場合法人税法違反事実と物品税法違反の事実がほ脱額部分において重なり、二重処罰を許すことになり、不当である、というのである。
そこで、所論及び答弁にかんがみ検討するのに、原判決が説示するように、物品税といえども申告納税方式による租税であり、その税額債務は申告をまって確定するのが原則であるから、たとえ法律的には物品税の納税義務が成立している場合であっても、いまだその税額が確定していないときにおける当該物品税相当額はそもそも法人の所得算定上損金に算入すべきではないと解され、所論のいうように物品税の法定納付期限の到来により税額が確定したとは解されない。所論がいう法人税基本通達九-五-一-(1)もこのような法の趣旨を基底においたものと理解することができる。してみると、本件のように法人税をほ脱するため売上の一部を除外し、その売上に対する物品税を支払う意思が当初からなく、したがって、もとよりその売上に対する物品税の申告をしているわけではなく、また、法人税基本通達の前記条項にいう損金経理をしているわけでもない場合における物品税相当額は、法人の所得算定上損金に算入すべきではない。そして、この物品税が損金に当たらないと解される以上、税法違反事件の刑事裁判における所得の認定にあたっては、これを減算する必要がないのであるから、原判決には所論のいう法令適用の誤りないし事実誤認は認められず、論旨は理由がない。
控訴趣意中、量刑不当の主張について
論旨は、原判決の量刑が重きに過ぎると主張し、懲役刑についてはその執行を猶予されたいというので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、本件は、いわゆる同和関係団体の原判示役職にあった被告人が、パチスロ機械などの製造・販売業者である原判示東京パブコ株式会社など四社の一ないし二事業年度の法人税及び東京パブコ株式会社の五か月分の物品税のほ脱に加功したという事案であるが、その脱税額(合計約三七億円)、ほとんど一〇〇パーセントに近いほ脱率、被告人の加功の態様すなわち被告人はその親族を各会社の名目上の取締役にすえて各会社を原判示「大企連」に加入させたうえ、過少申告の申告書に「大企連」の印をもらって申告書を提出させるなど計画的な方法で脱税させ、これに対し巨額の謝礼(合計約七億円)を受け取っており、被告人はいわゆる脱税請負人であったことなど、諸般の事情に徴すると、原判決も説示するように、その刑責・犯情は相当に重いといわなければならない。
してみると、被告人は古田らの脱税に利用されたもので、前記のとおり古田らの実際に発生させた脱税額と被告人の認識していた脱税額に差異があったことや、本件の背景となる税務当局の対応に問題があったこと、本件をきっかけとする同和団体の改善傾向、更には、被告人の納税意識などの変化、反省の情、その表れとして被告人が脱税報酬を返還し、かつ、福祉施設等に多額の寄付をしたことなど、所論主張の事情のうち肯認できる情状を十分斟酌しても(なお、原判決も被告人に有利な情状を量刑上相当考慮していることが窺われる。)、原判決言渡し時を基準とする限り、被告人を懲役二年八月及び罰金二億円に処した原判決の量刑が不当に重いとはいい難い。
しかしながら、当審事実取調べの結果によれば、被告人は原判決言渡し後もますます反省の情を深め、これに相応した生活をおくる一方、交通遺児の育英基金など各種福祉基金として一億円を超える寄付をした事実が認められ、これら原判決後の事情と前記被告人に有利な情状をあわせ考えると、前記犯情に照らし本件が懲役刑につき執行猶予を相当とする案件とまでは認められないものの、原時点においてその刑期をそのまま維持するのは明らかに正義に反する。
よって、刑訴法三九七条二項により原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従い更に判決することとし、原判決が被告人につき認定した罪となるべき事実にその挙示する法条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 池田良兼 裁判官 石井一正 裁判官 飯田喜信)
平成元年(う)第九一〇号
○ 控訴趣意書
被告人 中谷善秋
右の者に対する法人税法等違反事件について、控訴の趣意は左記のとおりである。
平成二年一月三一日
右弁護人 和島岩吉
右同 東畠敏郎
右同 桜井健雄
右同 黒川勉
右同 正木孝明
大阪高等裁判所第七刑事部 御中
記
目次
第一 理由不備(構成要件法条の不明)・・・・・・二六七九
第二 理由齟齬(適用法条の齟齬)・・・・・・二六八〇
第三 法令解釈の誤り(故意責任の原則・責任主義違反)・・・・・・二六八〇
一 原判決の論旨とその誤り・・・・・・二六八一
二 単独犯の場合・・・・・・二六八二
三 共犯の場合・・・・・・二六八五
第四 法令の適用の誤り及び事実誤認(「所得」と「損金」の解釈違反とその事実誤認)・・・・・・二六八六
一 原審の「弁護人らの主張に対する判断 一・二」について・・・・・・二六八六
1 原審における弁護人の主張・・・・・・二六八六
2 原審の判断・・・・・・二六八七
3 右の点における弁護人の控訴趣意要旨・・・・・・二六八七
二 税法解釈における租税「債務の確定」と損金処理・・・・・・二六八八
1 租税「債務の確定」・・・・・・二六八八
(一) 損金・・・・・・二六八八
(二) 債務の確定・・・・・・二六八八
2 損金処理・・・・・・二六九〇
3 損金処理に対する原審の税法解釈の誤り・・・・・・二六九一
三 刑事裁判と財産増減法の位置づけ・・・・・・二六九三
1 実額認定の必要性・・・・・・二六九三
2 財産増減法と実額認定・・・・・・二六九四
第五 量刑不当の主張・・・・・・二六九五
八 (原判決の量刑理由)・・・・・・二六九五
二 (量刑不当に対する弁護人の主張要旨)・・・・・・二六九六
三 (量刑不当に対する弁護人の主張)・・・・・・二六九七
1 本件犯行の態様(とりわけ誘い込み)について・・・・・・二六九七
2 脱税額の認識について古田らと差異のあったこと・・・・・・二六九七
3 本件の背景となった税務当局の対応について・・・・・・二七〇一
4 本件をきっかけとする同和団体の改善傾向・・・・・・二七〇五
5 被告人不在による企業倒産の危機・・・・・・二七〇六
6 交通遺児基金等への寄付の事実・・・・・・二七〇七
7 事件後の被告人の生活状況・・・・・・二七〇七
四 まとめ・・・・・・二七〇八
第一 理由不備(構成要件法条の不明)
原判決には、次の点につき法三七八条四号前段の「判決に理由を附せず」に該当し破棄は免れない。
被告人両名の判示第一の各所為及び被告人中谷の判示第二の一の所為につき法人税法七四条一項二号の引用がないのは、「判示に理由を附せず」に該当する。
有罪判決には、罪となるべき事実、証拠の標目、法例の適用を示さなければならない(法三三五)。摘示すべき法例の適用には、罪となるべき事実に該当する法例の適用を含む。本所為についての罪となるべき事実とは、「偽りその他不正の行為により第七四条一項第二号に規定する法人税の額につき法人税を免れ(一五九条一項)」た行為であるから、罪となるべき事実に該当する法令の適用として、法人税法一五九条一項とともに同法七四条一項二号を摘示する必要がある。
しかるに、原判決には同法七四条一項二号(構成要件事実を規定した法条)の摘示をせず、本件犯罪事実がいかなる構成要件事実に該当するのか明らかにしていない。けだし、罰則規定である同法一五九条一項は、多数の構成要件法条を引用しており、そのうち本件犯罪がどの構成要件事実に該当するか不明である。
よって、原判決は、判決に理由を附せず(三七八条四号前段)に該当し、これは絶対的控訴理由であるから、原判決の破棄は免れない。
第二 理由齟齬(適用法条の齟齬)
原判決には、次の点につき法三七八条四号後段の「理由にくいちがいがあること」に該当し破棄は免れない。
被告人中谷の判示第二の二の各所為につき、法例の適用として消費税法による廃止前の物品税法四七条一項を摘示するのは、「判決の理由にくいちがいがあること」(三七八条四号後段)」に該当する。
「理由にくいちがいがある」とは理由相互間においてくいちがいある場合を含むところ、原判決は、(罪となるべき事実)第二の二の所為について東京パブコの業務に関し、物品税を免れようとした行為を示し、それに該当する法例の適用として消費税法による廃止前の物品税法四七条一項(両罰規定)を摘示する。
ところが被告人中谷は東京パブコの代表者ではないので、右同法(両罰規定)の引用は誤りである。つまり、原判決は、理由中の(罪となるべき事実)とそれに該当する法令の適用においてくいちがいが存在するのである。
よって、原判決は、法三七八条四号後段の「理由齟齬」に該当し、絶対的控訴理由として原判決の破棄は免れない。
第三 法令解釈の誤り(故意責任の原則・責任主義違反)
原判決は法人所得税全額及び物品課税標準額について、被告人の認識をこえる部分が存し、その部分に対応するほ脱税分については無罪であるとの弁護人の主張に対し、各ほ脱犯はそれぞれ単純一罪が成立するのであり、分離前の共犯者らにおいては、その額について認識があり、被告人はその共犯者らと共謀のうえで、単純一罪に加功したのであるから、刑事責任は免れない旨判示している。しかしながら、右は、法人税法一五九条一項・七四条一項二号・消費税法による廃止前の物品税法四四条一項一号および刑法三一条一項、二項(故意責任の原則、責任主義)の解釈を誤っており、判決に影響及ぼすこと明らかであり、破棄を免れない。
一 原判決の論旨とその誤りについて
原判決は、分離前の相被告人である共犯者らにおいて、ほ脱額についての認識があるのであるから、仮に被告人においてほ脱額につきその認識が欠けていた部分があったとしても、その部分についての刑事責任は問われる旨判示しているが、これは数人共同して単純一罪に該る行為を行った場合に、その共犯者の一部において、その構成要件内の一部について錯誤があっても、その共犯者については故意を阻却しないとの一般論を応用しているのである。団藤教授はこの点につき「同一の基本的構成要件の範囲における具体的な事実の錯誤は、共犯の故意を阻却しない。たとえば、時計の窃取を教唆したところ、被教唆者が時計でなく――または時計のほかに――財布を窃取したとき、甲を殺すことを教唆したところ被教唆者が乙を殺したときは、それぞれ窃盗罪ないし殺人罪の教唆犯の成立を妨げない。教唆の際に指定した日時・場所・方法等がそのままに実現されなくても、もちろん問題にならない。」(「刑法綱要」総論、三二七頁)と述べられている。
そしてこれをほ脱犯に適用されるためには脱犯額についても、同一構成要件内での具体的事実の錯誤にすぎないとの立場が前提となるのである。そしてこの立場に立つ時には、単独犯の場合においても同様のことがいえるのであり、認識していたほ脱額と現実に脱税をした額との間に差額があったとしても、これを同一構成要件内での具体的事実の錯誤にすぎず、故意を阻却しないとされるのである。
しかしながら、この解釈は「所得」は不可分な一個と観念するものであるが、所得税法における所得の種類が一〇に分類されていることや、法人税法における個々の取引の集合によって所得が算定されること(法人税法二二条)からみても所得不可分を当然の前提とすることが誤りであることが明らかであるばかりか、行為者において「所得の認識」「納税義務の認識」がなければ故意がなく(なお、原審でも、被告人中谷の認識の範囲について、(弁護人の主張に対する判断三)で「実際の捕脱額がその認識を超えていること」、(量刑の理由)で「具体的に認識していた合計ほ脱額にも実際の額とはかなりの隔たりがあること」と争いない事実として認定されている)、構成要件的故意は所得の存在の認識を当然の内容としており、これを欠く場合には「偽りその他不正の行為」によるほ脱の結果が生じないという、ほ脱犯の構成要件的故意の解釈・適用を誤ったものであり、その解釈を前提とする原判決は破棄を免れないというべきである。
二 単独犯の場合
1 本件の共犯について検討をする前に、単独犯の場合、行為者において認識していた脱税額と実際に発生したほ脱の結果との間にくい違いがあった場合について、検討することとする。
2 ほ脱犯は、納付すべき税額を全く納付しないか、あるいはそれを下回る税額のみを納付してその差額の納付を免れ、しかもその方法が「偽りその他不正の方法」によってなされることによって成立するが、このようにほ脱犯の成立には、単に税を免れたというだけでなく、その結果が「不正の行為」にもとづくことを要するのである。このほ脱犯の構成要件について、石丸俊彦裁判官は次のように述べている。(最高裁判例解説昭和三八年度、二〇六頁)
所得税法六九条一項前段の所得税ほ脱罪の構成要件を考えてみると、それは(A)納税義務者、(B)ほ脱の犯意、(C)ほ脱行為、(D)結果の発生、の四要件となると思われる。そこで(A)の要件についてみると、納税義務者とは納税義務を負う者であって、所得税法一条ないし三条に規定される法律上の一定の資格である。しかしほ脱罪の要件としては、そのような資格を有するものであって、かつ当該年度の具体的な所得税を納付すべき義務ある者でかつほ脱行為の行為者を指称する。次に(B)の要件は、納付すべき所得税を負担しているにもかかわらず、そのことを知りながら(C)の行為を弄して納付を否定しようとする意思である。また(C)の要件は同法六九条の「詐偽その他の不正な行為」をいう。具体的には種々の態様があるが、要するに所得税の収納を減少させる結果を生ぜしめる可能性のある行為である。
最後に(D)の要件であるが、本件に則して言うならば右同条によれば「………の行為により二六条三項一号に規定する所得税額につき所得税を免れ」と規定されていることがらである。このことは所得税を免れるという実質的な事柄の発生を意味する。さらに、具体的に言うならばたとえば、正当に計算された税額よりも過少な税額を申告したときは、その自己賦課の税法上の効果にもとづき、その不足税額については所得税を免れたと解されるし、無申告の場合は、正当に計算された所得税額については所得税を免れたと解される(但しほ脱税額については後述)。ほ脱罪はこのように実質的に一定の結果の発生を要する犯罪である。しかも、既遂犯のみを処罰し、未遂犯を処罰の対象としていないところから、この結果の発生の有無に関してはその既遂時期について激しい対立がある。この点に最高裁の判例はまだない。またその結果はほ脱行為により生ずるものであることを要する。つまり(B)(C)と(D)との間には因果関係のあることを要する。たとえば過少申告の場合、客観的に算定される所得税額と申告にかかる不正税額の差額の全部につき、常にほ脱税額として責任を負うものではなく、その差額のうち脱税結果として(B)(C)が原因力となっいている額だけが、ここで言うほ脱犯としての結果の発生ということになるのである。次に、その結果の発生があるというためには、その結果は常に具体的な免脱税額として算定されることを要する。本判例はこのことに関するものである。すでに述べたように例えば過少申告の場合ならば、正当に計算された所得税額と申告にかかる不正税額との差額のうち(B)(C)と因果関係にある税額(免脱税額)がその結果となる。
この論旨は明解であるが、要するに実際所得と申告額の差の内、ほ脱の犯意及びほ脱行為と因果関係のある額だけについてのみほ脱犯が成立するのである。ところで、ほ脱の犯意とはいかなるものであろうか。それは一定の所得があることを認識しながらも「不正の行為」を行う事により全く納税しないか、またはそれを下回る額を納税し、もって「税の賦課徴収を不能もしくは困難ならしめ」(最大判昭和四二年一一月八日、刑集二一巻九号一一九七頁)ようとする意思であるというべきである。そして、もし何らかの理由で、自らの「不正の行為」によって免れると考えていた税額と実際の所得とに差異があった場合には、行為者において考えていた税額を上回る部分についてはほ脱犯が成立しないというべきである。
3 ところで、税額は諸種の分肢的数値の計算の結果算出され、また、所得の基礎となる取引も数多く存するため、行為者において税額を正確に認識することは不可能に近く、そのために従前より「税額は故意の対象でない」という説が強く述べられていたが、これはすでに述べたほ脱犯の構成要件より考えて失当というべきである。
弁護人も、ほ脱犯の成立のためには、行為者は正確にほ脱額を認識していることまで必要とは考えていないが、少なくとも、行為者において、ほ脱税額の基礎となる課税所得額の認識は必要(概括的故意説の立場にたっても、概括的な認識が必要と言う意味で同様である)であり、その点について欠けるところがあれば(概括的故意説の立場でも、概括的認識の範囲をこえる場合は同様であり、本件はこれを超えている)、その部分についてはほ脱の犯意は存在せず、構成要件に該当しないものというべきである(責任主義を前提に認識を超える部分について故意を否定した多数の裁判例がある。東京地判昭和三四・三・二六租税刑集一〇・四二番、東京地判昭和三四・一〇・一〇直税刑集三六・三四五、東京地判昭和三五・五・三〇直税刑集三六・三四七、横浜地判昭和三八・四・二六税資四〇・三八一、東京地判昭和五二・一二・二六判時九〇九・一一〇、東京地判昭和五三・五・二九判タ三八三・一五九、東京地判昭和五五・二・二九判タ四二六・二〇九)。これは、ほ脱犯においてのほ脱額の如何は、他の犯罪における被害額と異なり、法定刑にも差異を生じ罰金刑の上限を決定する標準となることと符合する解釈である(所得税法二三八条二項、法人税法一五九条二項、板倉宏「租税犯における故意 上」判タ一九一・一五)
4 ところで、本件のような脱税請負人の場合には、所得の基礎となる個々の取引行為には関与しておらず、依頼人が作成した資料に基づいてほ脱行為を行うものであるが、その基礎資料そのものが実際の所得と一致しておらず、脱税請負人において、実際の所得を知り得なかった場合はいかなる範囲でほ脱犯が成立するのであろうか。脱税請負人としては、依頼者が示した数次が実際の所得と考えて、それを基礎にして、「不正の行為」によって納税義務を免れる行為を行うのであるから、真実の所得と申告額との差異のうち、請負人のほ脱行為と因果関係を有するのは請負人に示された所得額と申告額との差だけであるというべきであり、請負人において認識できなかった真実の所得と請負人に示された所得との差については、不正の行為によるほ脱がなされなかったものというべく、その額については、ほ脱犯は成立しないものというべきである。
5 以上の通りであり、実際の所得と申告額との差異のうち、「不正の行為」の認識がなかった部分については、そもそも構成要件に該当せず、そもそも錯誤を論ずる余地も存在しないというべきである(同旨、松沢智・井上広道「租税実体法と処罰法」四六頁以下、掘田力「租税ほ脱犯をめぐる諸問題(四)法曹時報二二巻一一号二二三一頁、板倉宏「租税犯の故意(上)判例タイムス一九一号一五頁参照(編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる))。
三 共犯の場合
1 既に述べたことは共同正犯についても同様のことが言えるのである。すなわち、ほ脱犯における共謀の中味は、単に税を免れることだけでなく、「不正の行為」によって税を免れることであり、従って、前項で述べた四つの構成要件要素のすべてについて、共謀が存在しなければならないのである。そして、この共犯者の一人においてこの共謀をはみ出す行為を行ったとしても、他の共犯者はこのはみ出した部分については刑事責任を負わないことは、責任主義の原則から考えても同様というべきである。
2 本件にあっては、古田らにおいてあらかじめ作成した虚偽の申告書にもとづき、その虚偽の申告額を前提として、ほ脱行為の共謀がなされているのであり、共謀の範囲外にある被告人が関与しない古田らの前記行為にかかるほ脱額については、被告人に刑事責任を問うことはできないというべきである。
いずれにしても、原判決は、被告人の認識および共謀の範囲を超える事実について、故意責任を認定しており、前記法人税法および物品税法および刑法三一条一項・二項の解釈を誤っており、右は、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。
第四 法令の適用の誤り及び事実誤認(「所得」と「損金」の解釈違反とその事実誤認)
原審は、法人税法違反事件について、東京パブコの法人所得について法人税法二二条三項二号の「所得」と「損金」の解釈を誤り、かつ、その所得および税額の事実認定を誤認しており、右はいずれも判決に影響及ぼすこと明らかであり、破棄は免れない。
一 原審の「弁護人らの主張に対する判断 一・二」について
1 原審における弁護人の主張
原審において弁護人らは、東京パブコに係る法人税法違反の罪(原審判示第一の二の各事実)について、要するに、<1> 起訴された年度の法人所得金額の中には、本来損金算入・減算されるべき、売上に対する二割の物品税が含まれていることが明らかであり(勿論、納付済物品税に関しては費用として損金処理されているのは当然である)、この租税債務を認定せず、減算しないまま、当該法人の所得を認定することは、刑事裁判の実額認定主義に反する、<2> 本件事案では、損益計算法による立証であればそもそも問題がないが、検察官は、当該法人の所得認定につき財産増減法による立証を行っており、それ自体を否定するものではないが、所得の実額認定にあたって、少なくとも他の証拠によって合理的確信に至るまで所得から減算できる損金(本件においては租税債務として損金処理をなすべき物品税)について明らかにしなければならないところ、本件はそれをなしていないので、そもそも所得実額の立証・認定そのものがなしえないものである、と主張した。
2 原審の判断
前記弁護人の主張に対して原審は、要するに、
前記<1>について、物品税は申告納税方式による租税であり、その「税額の確定」は、申告によってなされるもので、かりに、刑事法上、法人税法違反事実である売上を除外した物件の納付すべき税額の証明(本件の場合売上が認定でき、その二割の税額部分のこと)があったとしても、税額の確定がないかぎり損金に算入できないから、本来納付すべき物品税部分も、刑事裁判においても所得となる
前記<2>について、右から、弁護人の主張そのものが意味を持たないのであるから、立証方法として許容された財産増減法をして本件所得の認定したとしても問題でない
と判断した。
3 右の点における弁護人の控訴趣意要旨
弁護人は、少なくとも、租税法違反刑事事件について、租税実体法の解釈上所得とならないもの、納税義務を負わないものに捕脱犯として刑事罰を科することができないことから、まず、前提として税法解釈において申告納税方式における租税債務の損金処理の内容を明らかにし、つぎに、百歩譲って租税実体法解釈が原審のいうとおりとしても、それとは峻別された租税処罰法が不正申告を処罰の目的とする形式犯を対象とするものでなく、国の租税収入を現実に侵害するものとして、所得税額を免れたことを処罰の目的とする実質犯を対象とするもので、その法制の下で、原審認定と法解釈は、大原則である実額主義に反するとともに、法人税と物品税の二重処罰を容認するとのことを明らかにする。
二 税法解釈による租税「債務の確定」と損金処理
1 租税「債務の確定」
(一) 損金
法人税法は二二条一項で、法人の「所得」を「益金」から「損金」を控除した金額とし、同条三項二号で企業会計原則にいう「経費」(同二号では「販売費」「一般管理費」「その他の費用」の三に分類されている)が損金であることを明記した(本件における物品税が「その他の費用」に含まれることは、企業会計原則・税法解釈上、当然とされている)。ただし、税法上、損金と認められるのは、当該事業年度終了の日までに「債務の確定」したものにかぎられる(同条三項二号カッコ書き)とされている。
従って、「債務の確定」ありたる租税債務たる物品税は、法人税法上、「損金」として「益金」から控除されなければならない。
(二) 債務の確定
「債務の確定」とは、法人税上の「損金」の確定で、所得を認定するについて益金から控除するもとして確定するものである(会計上の債務発生主義によると、「引当金」勘定により債務未確定の費用を制限なく計上する危険性があり、課税の公平に欠けるため、実質課税の立場から、損金経理の有無にかかわらず、損益計算原理から当然かつ実質的な「損金」のみ税法上の損金とする基準―引当金の法的規制と課税所得の適正な認定基準―として、昭和四〇年の法人税法全文改正時に「債務の確定」が法定されたものである。―税法上の債務確定主義の宣言―)。
右「債務の確定」について、法人税法基本通達二-二-一二(別紙参照)が、「債務の確定基準」として
(1) 債務の成立
(2) 具体的な給付原因事実の発生
(3) その金額を合理的に算定することができること(金額の見積可能)
の要件を規定しているが、これは、「債務の確定」について実体法解釈として当然のことを明らかにしたもの、とされている(法人税法の「損金」と「債務の確定」について同旨・大阪地判昭四八・八・二七税資七〇-九四〇)。
右(1)の、物品税「債務の成立」については、国税通則法一五条二項六号(消費税施行前の同法二条三号に物品税が規定されており、本六号の適用があった)によって、課税物件の移出・譲渡時とされており、本件東京パブコの当該年度の売上除外した物件の租税「債務の成立」は問題がない。
右(3)の、「その金額を合理的に算定することができること」についても、売上除外した価格(売上額)の二割が物品税であることから、その金額については、算定の必要がないくらい明らかとなっているため、問題がない。
右(2)の、「具体的な給付原因事実の発生」については、法人税法の基本書・解説等(例えば、渡辺淑夫・山本守之『法人税の考え方読み方・二訂版』税務経理協会・九三頁、武田隆二『平成元年版法人税法精説』森山書店・八〇頁)によれば、争いをみない解釈としてこれを、「期限・条件などの到来・成就または債務負担―履行義務―が具体的に明確となったこと」とされている。本件における物品税の納付「期限」または「履行義務」は、移出・譲渡した月の翌々月の末日と法定されている(旧物品税法二九条二項・三一条二項)。従って、本件東京パブコが売上を除外して脱税した当該年度内に物品税も、納期限の到来により「具体的な給付原因事実の発生」があったものであることは言うまでもない。
2 損金処理
以上のとおり、法人税法によっても、本件東京パブコの当該年度内に物品税の納期限の到来した売上除外分の租税債務は、同法二二条三項二号による「債務の確定」ありたる租税債務として「損金」となるものである。これは、期限末到来の租税債務をも「未払金」として負債勘定に計上することにより、「益金」から控除することを認めている通達(法人税法基本通達九-五-一-(1)但書き、参考昭和三三年法人税法基本通達五九=別紙参照)と同様で、当然のことである。けだし、「債務の確定」しないものについて、損金算入の事業年度を定める通達をなしうることはない。原審の考え方に立てば、期限末到来の租税債務は「損金」処理ができ、期限が到来し「申告」していない税金は「税額の確定」がないから「債務の確定」がないとされ、「損金」とはならないという、全く理解しえない結論を導くこととなる。
勿論、右結論は、申告納税方式による申告に基づく税額の確定(国税通則法一六条一項・言葉としては「税額の確認・賦課権の対象の確認」で、賦課権―更生・決定又は賦課決定―の除斥期間の起算点の決定等に意味をもつに過ぎないとされている)とは、峻別されるうえ、「申告」という手続・形式の有無によって「損金」扱いを異別にするとのことは、実質課税主義をとっている本邦の税法解釈から考えられることではない。
これを、表にすると次のとおりとなる。
<省略>
なお、弁護人らが任意に、税務各官所問い合わせをしたが、売上除外の方法による脱税につき、すべてが、資料がなく財産増減法的に所得認定したとしても、売上もその他資料に基づき推計(例えば、利益率などから売上を逆算し推計するなど)し、その物品税部分は減算のうえ、税務折衝に入り最終所得を確定するもので、それにより、法人税と物品税との二重課税を回避すると返答していることを付加する。これは、いわば当然の実務のようである。
3 損金処理に対する原審の税法解釈の誤り
(一) 右のとおり、法人税法二二条三項二号の「債務の確定」と国税通則法一六条一項の「税額の確定」とは、明らかに異なる概念で、混同してはならない(考学上の「租税債権債務関係の確定」は、申告納税方式による租税の「税額の確定」と同一と考えられるが、これも、右法人税法上の「債務の確定」と同一概念でなく、峻別を要する)。にも関わらず、原審は「税額の確定」が「債務の確定」と誤解して、前記判断に達したものと思われる。
百歩譲って、原審解釈のとおり、前記法人税法の「債務の確定」および前記通達の「債務確定基準を考慮しないで、「物品税といえども申告納税方式による租税であり、その税額債務は申告をまって確定する」とすると、次のことが理解できなくなる。
(1) 本件では当該年度の物品税法違反事件は起訴・処罰もしくは賦課の対象となっていないが、原審のようにその認定所得に明らかに売上除外分の物品税未納部分が包含されている場合、一方で、物品税未納付の事実も存在するわけであるから、物品税部分について法人税法と物品税法の二重課税(刑事法的には二重処罰)を容認することとなる。
(2) 租税「債務の確定」がないにも関わらず、租税債務の申告が義務付けられている。
(3) 申告期限未到来の租税(物品税を含む)は、右法人税法所定の「債務の確定」もしくは「税額の確定」がないにもかかわらず、損金算入が認められることとなる(法人税法基本通達九-五-一-(1)但書き、参考昭和三三年法人税法基本通達五九)。
(4) 物品税を納期限後納入する場合、もしくは、無申告の場合、右法人税法所定の「債務の確定」がないにもかかわらず申告納期限から延滞税を納付しなければならない。
(二) そこで、あえて付加的に、申告納税方式による租税の損金算入をする事業年度について規定した法人税法基本通達九-五-一-(1)について考察するに、右通達は、<1> 納税申告書に記載された税額については当該納税申告書が提出された日の属する事業年度とする、<2> 申告期限未到来の租税は、未払い金計上した事業年度とする、と損金算入すべき事業年度のみ規定したもので、本件のように売上除外したものに対する「債務の確定」「損金算入」の時期を予想もまた規定もしていない。むしろ、「申告」の有無に関わらず租税債務はすでに法人税法にいう「債務の確定」ありたるものとの前提をとっており、「債務の確定」ありたる租税債務につき、一方では申告書提出日を、他方では未払金計上した日の属する事業年度に損金算入できる(税額に相当する金額が収入またはたな卸資産の評価額に含まれているため、その額は「債務が確定」している限り損金に算入してよいとの趣旨)としているものである。右通達も、前記原審のように「税額の確定」しない租税は、法人税法の「債務の確定」がない、との根拠とはなりえないものである。
(三) さらに、国税通則法十六条一項を考察するに、既述のとおり同条項は、「確認」「賦課権の対象の確認」を規定したにすぎなく、その意味は、賦課権(更生・決定又は賦課決定)の除斥期間の起算点の決定等に意味をもつに過ぎないもので、法人税法二二条三項二号所定の「債務の確定」とは無関係である。「税額の確定」を「債務の確定」とすることにより生じる矛盾は前記のとおりであるばかりか、仮にそうであるとすれば、「債務の確定」に関して、申告納税方式の租税債務については「税額の確定をまって確定するものとし、税額の確定なき租税債務は損金とせず益金から減算しないため所得と認定されることもやむなし」との趣旨の例外の規定が存在しなければならないであろうし、さらに、その場合、二重課税とならないための必要な規定が存しなければならないこととなる。
以上の次第であるから、原審の東京パブコに対する「損金」「所得」の解釈は、その前提となる法律解釈を誤ったものであるため、それだけで破棄を免れないものであり、かつ、前記のとおり所得の認定について重大な事実誤認が存在するもので、この点からも破棄を免れない。
三 刑事裁判と財産増減法の位置づけ
1 実額認定の必要性
租税法が、裁判規範として顕著に機能するのは、納税義務の認定とその構成要件に該当するか否かの判断を通じて、その構成要件要素である所得(税額)が幾らであるかの二点であるが、一方で、租税実体法と異なり、刑事裁判において推計課税は許容されず捕脱所得の算定はすべて実額(「実額」とは税法の手続を全て履行した後に残る、客観的な真実の所得と解するのが、刑事訴訟における実体的真実主義に合致するのは当然である。松沢智「逋脱犯の訴追後半をめぐる諸問題」八十頁注<1>・『租税刑事法の諸問題』租税法研究九号有斐閣所収)によることが必要とされる。これは、刑事判決と課税処分とは両者別個の法体系に属し、課税処分と異なる逋脱税額を刑事裁判において為してもなんら差し支えないとのことを意味する。
従って、本件において物品税相当部分を収入から減算しなければならないとのことが、税法解釈としての所得認定において否定されることがあったとしても、刑事裁判において実額認定をするに際し、これを減算することは当然なされなければならない。けだし、前述のとおり、これを減算しない場合、法人税法違反事実と物品税法違反事実が逋脱額部分において重なり、二重処罰を許容することとなる。
2 財産増減法の位置づけと実額認定
最高裁は、捕脱所得を認定するにあたり、財産増減法を許容している(昭和六〇・一一・二五)が、それによって「合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度の証明が得られ」なければならないのは当然である(最判昭和五四・一一・八)。このことを下級裁は、財産増減法を許容するものの「刑事裁判の本質上、確実な心証を得る程度に立証されることが必要である。推計課税のような一応の蓋然性の程度をもって足りる推計とは全く本質を異にするものであるから、刑事裁判では、行政上の処分(更生・決定)のために認められた便宜的方法である単なる推計によることは許容されない。それは、当該項目の金額が確実に存在していることにつき、通常人であれば誰でもが疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信を得る必要がある。」(東京地判昭和五四・八・三判タ四一四・一四八、同旨東京地判昭和五二・八・五判時九〇七・一二五)と正確に判示しており、右最高裁の判決も当然これを前提にしているものである。仮に、財産増減法の立証がなされ個々の財産項目が認定できたとしても、刑事裁判の本質上、所得を認定するにつき減算項目の認定・算定を不要とするものでないことはいうまでもない。
弁護人も、所得認定の本来の立証方法として損益計算法があり、それを補うものとして財産増減法を否定するものではない。
しかし、本件のように、貸借対照表の負債勘定に「未納税金」「未払金」科目を明らかに計上しないまま、物品税を含んだ売上金額をそのまま転化させ「現金」「預金」「売掛金」等を資産勘定に計上したまま、財産増減法による所得認定があっても、それは見せ掛けの所得である。本件では、損益計算法による立証で「売上」を認定し、さらにこの二割の物品税を減算しなければ所得の真の実額が認定できるものではない。
この方法は、原審判決が、別紙(五)の「勘定科目」欄記載「未納事業税」(所得が増加することにより増加発生する事業税)を負債勘定に計上し、資産から減算していることと全く同じ理解である。これも、二重課税・二重処罰を回避するため、税金を減算することにその目的があるといって過言でない。
弁護人が、本件にあって原審より財産増減法によって所得の認定が不可能であると主張しているのは、まさに、財産増減法のみによっては、減算項目の金額が立証・認定できないと主張するものである。
いずれにしても、原審は、所得について、重大な事実誤認をなしており、破棄を免れない。
第五 量刑不当の主張
原審判決の量刑は、重き過ぎ不当であるため破棄すべきである。
一 (原判決の量刑理由)
原判決は、被告に対する有利な量刑事情として考慮した点を次のとおりのとおり述べている。
「しかしながら、被告人らの各犯行関与の態様は、前記古田その他の分離前の相被告人らが脱税の報酬を低額に抑えるためあらかじめ圧縮、提示した所得額等を前提として、その申告書の作成ないし提出のみに関与したものが多く、それ自体は必ずしも巧妙で悪質なものとまでは評しえないのみならず、具体的に認識していた合計ほ税額にも実際の額とはかなりの隔たりがあること、同和団体の組織を利用するこの種ほ脱事犯については、従前の税務当局の対応にも問題がなかったとはいえず、これがまた本件各犯行の重大な背景事情となっていたことも否定できないこと、関係各社においては、本税は既に全額納付済みであり、附帯税についても、グローバル・ハイテックにおいては全額納付済であるほか、他の三社において逐次その残額を納付の予定であること、被告人中谷については、業務上過失傷害罪による罰金以外の前科がない上、本件各犯行の前後において、中企連に対し五億円近い多額の寄付をしていること等に照らしても、その動機に単なる個人的利欲を超えるものがあったことがうかがわれること、検挙後は、素直に事実を認めるとともに、余罪分も含めてこれまで得た脱税報酬のほとんどを返還し、自己の所得税について周到な調査の上修正及び最修正申告を行い、羽曳野市向野所在の不動産を同市に寄付するなど、反省の情が顕著であること」
右の量刑事情について、第一審で弁護人が主張した点について考慮されている点もあるが、次に述べる如く、未だ被告人の量刑事情において十分考慮されていない点があるので原判決の量刑は不当に重きに過ぎるものである。
二 (量刑不当に対する弁護人の主張要旨)
すなわち、次の論点が考慮され、量刑をより軽くする判断がなされるべきである。
<1>本件犯行の態様についていえば、本件犯行の誘い込みの事情、<2>脱税額の認識について、古田らと重大な差異のあったこと、<3>本件犯行の背景となった従前の税務当局の対応についての認識の程度が不十分であること、<4>本件をきっかけとしての同和団体の対税務当局への対応の改善傾向、<5>被告人の不在による企業倒産の危機、<6>今後予定している交通遺児等への寄付、<7>事件後の本人の生活状況等である。
以下、順次述べる。
三 (量刑不当に対する弁護人の主張)
1 本件犯行の態様(とりわけ誘い込み)について
原判決は、古田らが既に圧縮した所得額を前提とする帳簿を被告人に見せながら、本件犯行に関与させたとの認定をなしているが、その点についての認識は極めて正当であるが、更に進んで本件犯行は古田らの強い要求と強力な誘い込みがあったからなされたものであるとの認定をなすべきである。
右の点については、原審の最終弁論で詳細な主張したところであるが、その内容を要約すれば、被告人が関与した脱税会社の大部分は本件起訴にかかる会社であり、かつ、本件起訴にかかる会社は全て古田の関係する会社であり、一部の会社の脱税の発覚は自動的に他の会社の脱税の事実の発覚へとつながること、又、本件起訴後にも東京バブコ、エルアイシー、オスカーという本件と同じ会社が再び法人税違反で起訴されていることから明らかな如く、古田らは一貫して強い脱税志向を持ち、被告人はその手段として利用されたことが明白であることなのである。
2 脱税額の認識について古田らと差異のあったこと
この点については、原判決も認めており、別項で刑法の責任主義の問題として論じたが、量刑においても今少し重大視して考慮されるべきである。
すなわち、右の点について述べると次のとおりである。
(一) オスカー物産株式会社について
(1) 昭和五七年四月一日から同五八年三月三一日までの事業年度について
起訴状による所得金額 二八七、六一一、六〇九円
〃 脱税額 一一九、〇二一、二〇〇円
被告人の認識による所得金額 一億円
右による脱税額 四〇、六六九、八〇〇円
(2) 昭和五八年四月一日から同五九年三月三一日までの事業年度について
起訴状による所得金額 五六五、四〇三、三七三円
〃 脱税額 二三〇、六六二、八〇〇円
被告人の認識による所得金額 四億円
右による脱税額 一六七、二五八、四〇〇円
(二) 東京パブコ株式会社について
(1) 昭和五七年九月一日から同五八年八月三一日までの事業年度について
起訴状による所得金額 六六八、九七〇、一五四円
〃 脱税額 二七九、五九〇、四〇〇円
被告人の認識による所得金額 二億円ないし三億円
右による脱税額 八二、六五二、六〇〇円
ないし一二四、六五二、六〇〇円
(2) 昭和五八年九月一日から同五九年八月三一日までの事業年度について
起訴状による所得金額 八九七、七一七、一〇八円
〃 脱税額 三八七、三二八、八〇〇円
被告人の認識による所得金額 二億円ないし三億円
右による脱税額 八五、三三一、七〇〇円
ないし一二六、八三一、七〇〇円
(三) 株式会社エル・アイ・シーについて
(1) 昭和五七年一〇月一日から同五八年九月三〇日までの事業年度について
起訴状による所得金額 六五九、八二三、七七一円
〃 脱税額 二七五、五六一、八〇〇円
被告人の認識による所得金額 約一億円
右による脱税額 四〇、五一九、九〇〇円
(2) 昭和五八年一〇月一日から同五九年九月三〇日までの事業年度について
起訴状による所得金額 五〇六、五九九、四八五円
〃 脱税額 二一七、九六五、一〇〇円
被告人の認識による所得金額 約二億円
右による脱税額 八五、三二八、〇〇〇円
(四) 株式会社グローバル・ハイテックの昭和五八年五月一日から昭和五九年四月三〇日までの事業年度について
起訴状による所得金額 四四六、〇三九、七九九円
〃 脱税額 一八九、一六四、三〇〇円
被告人の認識による所得金額 約四億円
右による脱税額 一七〇、五五九、八〇〇円
(五) 以上を合計すると
まず、起訴状記載(検察官の主張)によれば
四社合計所得金額 四、〇三二、一六五、二九九円
〃 申告額 三四、一〇三、二七六円
ほ脱所得額 三、九九八、〇六二、〇二三円
〃 脱税額 一、六九九、二七八、〇〇〇円
となるが、一方、被告人の認識する所得金額を基にすれば、
四社合計所得金額 一六億円ないし一八億円
〃 申告額 三四、一〇三、二七六円
〃 ほ脱所得額 一、五六五、八九六、九二四円
ないし一、七六五、八九六、九二四円
〃 脱税額 六七二、三二〇、二〇〇円
ないし七五五、八二〇、二〇〇円
となる。
(六) 右に述べた如く、古田らと被告人の認識の差は所得金額において、一二億~一四億円の差であり、脱税額において一〇億~九億の差となるものである。
従って、法人税についての脱税額において述べるならば、倍以上の差があったものであり、古田らの悪質さもさることながら、被告人の刑責は右の額に従って今少し軽減されるべきである。
ましてや、別項で述べた物品税相当額について損金計算されるとするなら、その責任は直ちに軽減されるべきである。
(七) なお、物品税についても、古田らの課税標準額の認識は約一〇二億円であるのに対し、被告人のそれは、約八六億円でこの点をも考慮されれば被告人の刑責はさらに軽減されるものと考える。
3 本件の背景となった税務当局の対応について
(一) この点について、原判決は「従前の税務当局の対応にも問題がなかったとはいえず」と述べているが、その程度は問題になかったとはいえずというものではなく、その点にこそ最大の問題があったのである。右の点については、原審弁論で詳細に述べたところであるが、今一度敷衍して述べる。
(二) 税務当局の対応と大企連
(1) 大企連は、昭和四二年一一月結成され、部落の商工農林業者の経済的な基盤を確立することを目的とし、その一つとして、会員の税の申告的指導というものを行うようになったものである。
北口証言にによれば、大企連結成時の徴税業務は、当時の部落差別の状況(自分たちは税を納めてもそれに見合う行政措置は受けていない)から税務署員を取り囲んだりし、徴税業務を不能ならしめ、又、一方では推計課税が部落の実態と合わず、部落の者が税に苦しめられるという二つの側面が存在したのである。
そして、大企連結成により、一つは正当な部落の実情にあった課税をしてくれるよう税務当局に要求すると共に、一方では無申告をなくし、申告の指導をするということが行われるようになったのである。
そういった意味では、税務当局にも大企連結成は歓迎されることであったのであり、それ故、種々の交渉の結果、いわゆる確認事項なるものがなされるのである。
その内容の中心的なものは、<3>項の企業連が指導し、企業連を窓口として提出される白、青色をとわず自主申告については全面的にこれを認める。但し、内容調査の必要ある場合には企業連を通じ、企業連と協力して調査にあたるというものであり、それに応じて、昭和四五年二月一〇日、国税庁長官通達が出されるのである。
検察官主張の如く、大企連と税務当局の間で文書確認等なされていないものの、北口証言によれば、前記の確認事項を理解したものとして、国税庁長官の通達が出されていることになるのである。
右の確認事項は、その後、大企連の総会文書では必ず記載されており、大企連の集会に税務当局が挨拶にきていても、右の内容について苦情を出されたことは一切ないし、又その後の運用実態を見る限り、右の確認事項に従って運用されていることは明白である。
それ故、右の確認事項は、歴史的な過程で生まれたものであり、開放運動と税務当局のそれぞれの思惑の中で創り上げられ、積極的意味を有していたことは疑いないのである。
(2) 右の如く、当初は歴史的経過の中でなされた確認事項は、その後、実際にどのように運用されたのであろうか。
北口証言によれば、本件が発生する以前には、修正申告の例は皆無とのことであり(二四丁)、大企連の会員九、〇〇〇名近くおり、一切の修正がないということは、大企連外のものとは全く違った状況である。その点について、中沢証言は、各税務署には大企連業者の名簿が出来上がり、他の納税者と明確に区別され、「調査そのものをしない」という運用になっていたことを明確に述べているのである。
そして、同証人は前記の国税庁長官の通達が曖昧であるが故に、現場では「調査しない」ということが一人歩きを始めることになったことを自己の体験を混えて述べているのである。
(3) 右のことは単なる調査がないということから進んで、虚偽の申告をしても構わないということにまで進んでいったのである。
すなわち、被告人を含む周りの者の多くが、調査がないということを理由に虚偽内容の申告を行っているのである。被告人に対し、ようけ支払ったらいかんいうことを述べた人間として被告人は具体的に七名の氏名を挙げているものである。
又、正しい申告をするなら、大企連に入れてくれと頼む必要がないのに大企連に加入の助力を願い出た人物として、警察官、府庁の役人、清岡税理士、一井税理士等が挙げられる。
その事は、脱税することを容認している以外の何物でもないのである。
又、一方、税務当局においては、右の脱税について如何なる認識をもっていたのかという点であるが、その事を一番雄弁に物語るものは物品税の申告書である。その申告書を一見すれば、社印のないもの、社名がゴム印でないものがあり、税務当局が作成したことは明らかである。
そして、その内容も、その税の性格から考えて、明らかに端数がでないのがおかしいのに端数なしで記載されていることから考えて正しい申告でないことは一目瞭然である。
従って、検察官主張の如く、国税庁長との間での覚書等がないから被告人らの主張の如き実態がないというのは全くの形式論であり、まさに徴税現場では、右の確認事項の内容を正しく運用したかどうかはともかくとし「大企連」は調査なしという実態ができあがっていたものである。
(3) そこにおける被告人の納税意識は、前記の被告人の友人及び被告人が交際を持った税理士から強い影響を受けているものである。
その点について、被告人がいみじくも「自主申告やからなんぼでも申告してもいい法律やと思いました」「地対法がどうのこうのと聞いたと思います」(被告人質問、原審第一回一一丁)と述べている。
被告人においては、自己が犯罪を犯しているなどの認識は極めて希薄であり、そのことを被告人だけの責任となし得ない事情が存しているのである。
その事を前記の如く、被告人は述べているが、当弁護人においても事実見聞きしていることであり、開放運動の展開から、一部分歪められた形で発展したのが、本件の重要な背景なのである。
(三) まとめ
以上述べた如く、本件は、徴税業務の円滑な運営と、部落開放運動の発展の中で産まれたはずの確認事項が、その曖昧さ故に、現場では歪んだ形で反映されていったものである。
それ故、単に被告人の責に帰すべき事由よりも、税務当局と部落開放運動の中に本件を発生させた根本問題が存するといっても過言ではないのである。
被告人の納税意識も我々から見れば異常と言えるものであったとしても被告人が接した部落の友人や大企連関係者、更には一〇名近い税理士の中であっては、「大企連には調査は入らない」=「自由申告」=「脱税が容認されている」との認識は当然と言えば言えるものであった。
尚、被告人が具体的な大企連加入の依頼を受けた一井武税理士はこの一件の影響から昭和六一年七月一六日から一年間に亘り業務廃止をしている。このことは被告人の主張の事実の正しさを裏付けている。
被告人は全くの偶然でその中の最初の一人として、この法廷に立つことになったものであり、他の多くの人物が被告人と同程度、又は、被告人以上のことをなしながら、刑事訴追も受けていないという事実が厳然と存するのである。
そう言った意味では、ここで成さなければならないのは、まさに部落開放運動のあり方と、それに対する税務当局の対応であると断じて差し支えないのである。従って、そういった意味では被告人の刑責は今少し軽いというべきである。
4 本件をきっかけとする同和団体の改善傾向
前述した如く、本件は同和団体と税務当局の歴史的な経過とその問題点ぬきには考えられない犯行である。
従って、右の関係が改善されれば、犯行を行うべき可能性は皆無となるものである。
してみれば、本件の再犯の可能性を考える時に「大企連」が本件以降でどのような対応をしたかは極めて重要なものである。
原審の北口証言によれば、本件発生にショックを受け、いわゆる再登録運動をなしたとのことである。
(弁護人請求七一-二、三)。
その結果、九、〇〇〇名近かった会員が、七、六〇〇名に減じたとのことである。
右のうち、どの程度がいわゆる「エセ同和」であったのかはともかく、「大企連」が資格審査を厳重にしたことは疑いのない事実である。誰が部落民であるかについては、同じ地域の者の言を信用する以外に方法がないし、北口証人が述べる如く「大企連」に加入することはとりもなおさず「部落民宣言」をなすことであるため、誰も好んで入会するはずがないと考えていたのであるが、現実は「大企連、調査なし」の言葉と、それによってもたらされる「脱税」の恩恵を受けるため、「エセ同和」が存在したのである。
その点については、再登録運動ということで、一つの自浄作用がなされているのである。
更には、納税状況についても、本件以降、大企連を窓口にする形態は変わらないものの、過去には修正ということはほとんど例がなかったのに、事件後二年で調査が二~三〇件あり、かつ修正申告が六件程あったということであり、税務当局の対応も当然の如く変化してきているのである。
北口証言が述べる如く、部落解放運動の本旨からも、本件以然の実態について深刻な反省を加えることは不可欠であり、既に真摯な反省を迫られそのための組織指導を開始している。
エセ同和はともかく、大企連会員の過少な税申告は、同和対策特別措置法の中で部落の者の一部に経済力がついてきた中で起こった減少であり、税務当局も含めて、いわば歴史の発展過程の中の出来事なのであり、それを乗り越える姿勢が、大企連と税務当局の双方に生まれており、再犯の可能性は全く存しないと断言できるものである。本件一件の起訴は単に一件の起訴というものではなく測りしれない社会的効果を与えているものである。
5 被告人の不在による企業倒産の危機
この点については原審ではあまり触れていないが、被告人の長期の不在は被告人の力を頼りに社会生活を送っている人間に大きな影響を与えるものである。
すなわち、被告人の事業は現在丸善興産株式会社、丸善食品株式会社、及び個人で経営する焼肉店「安芸善」を中心に行われており、丸善興産には被告人を除き一一名、丸善食品には三〇名、「安芸善」には二〇名のそれぞれ従業員がいるものである。
ところで、右の企業のうち、丸善食品は精肉卸を業とする会社であり、年間五〇〇万円の利益を挙げ、右の業務の性格からして被告人の存在は経営的にそれほど重要ではないが、代表者としての被告人の存在が、右会社の経営に有形無形の寄与をしていることは明白であり、被告人の不在が同社の経営に影響を与えるものである。次に、丸善興産はマンション五棟等を所有し、賃料としては年間約二億七、〇〇〇万円の収入があるが、一方、銀行よりの借入は金三五億円程あり、その返済が年間支払利息約二億一、〇〇〇万円を含めて約金二億六、〇〇〇万円あり、他に人件費・事務所費等の費用が約三億五、〇〇〇万円必要であり、右の三億五、〇〇〇万円については、被告人の個人的才覚と被告人の交友関係から不動産の仲介又は売却によって得た報酬等でまかなっているものである。右の不動産取引は、被告人に代わってできる人物は丸善興産にはおらず、被告人の不在期間中は、年間三億五、〇〇〇万円程の赤字が続くのである。
又、右の如き資金繰りに至ったのは、当然とはいえ、被告人が逮捕時に有していた預金等を全て、修正申告報酬の返還等にあてたためであり、被告人の手持ち資金がなくなった故の資金ぐりなのであり、本件により被告人は重大な経済的な影響も蒙むっているのである。
又、焼肉店「安芸善」については、昭和六一年にオープンした後、年間約一、五〇〇万円の赤字が昨年中頃まで続いていたが、被告人の地道な努力により被告人を中心とする知人が利用しはじめることで、ようやく赤字巾が0に近くなりかけている状況であり、いわば、事業としての成否を迎える重大な局面に入っているのであり、被告人の長期の不在は、右事業の失敗を意味するといっても過言ではないのである。
以上の如く、被告人の長期の不在は、丸善興産の職員一一名、「安芸善」の二〇名並びに丸善食品三〇名の従業員及びそれらの家族、計約二〇〇名余の生活に重大な影響を与えるところとなるのである。
6 交通遺児基金等の寄付への事実
被告人は第一審において不動産を羽曳野市に寄付することと併せ、約六〇〇〇万円を社会福祉施設に寄付をした。
右寄付の目的は被告人の強い要望であり、社会的弱者に対する救済という形で自己の強い反省の念を表したものである。
控訴審においても、被告人にとって正確な納税等により決して資金的にも余力のない状況であるにもかかわらず、多額の寄付を予定しており、それによって自己へのより強い反省を表すことを考えているものである。
7 事件後の被告人の生活状況
本件後において何よりも特筆すべき被告人の変化は納税意識と納税状況である。しかも、右の状況を事業的にも保証すべく丸善興産等の経理関係については永年の友人であり、現在のよりよいパートナーである元大阪府警本部調査官の辰己氏に銀行印等を全て預ける形をとっているものである。同氏は年令も被告人より上であり、その経歴から考えて、本件発覚後、自己の進退をかけて、被告人の自省を促し、その結果、被告人がこれに応じ、その後、共同で事業を発展させるべき行動をとっているものであり、今後も同氏の強い監督等が十分保証されているのであり、現に保釈後は同氏の監督さえも不要とおもわせる程、事業と家庭を守る地道な生活を営んでいるものである。
四 まとめ
以上の如く、被告人に対する量刑は原判決掲示の有利な事情に前述した事情を付加すれば不当に重いものである。
すなわち、被告人には本件脱税額についての認識していた額は古田らより低額であること、古田よりの誘いが本件犯行の契機であること、古田らは所得額をより低くした書類を被告人に交付していること、被告人の納税意識については歴史的背景があり被告人と同様の行為を行っているものが他にも多数存していること、被告人の脱税行為について専門家たる多くの税理士が納税しなくてもよいかの如き言動を取っていたこと、本件を契機に同和自体と税務当局の対応に改善の傾向がみられること、被告人は修正申告をなしていること、脱税報酬をことごとく返還していること、本件の動機が単に私利私欲でなかったこと、被告人においては素直にかつ十分反省していること、多額の寄付をしていること及び本件以後に極めて誠実な社会人として生活し、多くの人達の生活を支える事業を中心的に営んでいることなどの事情を考慮されれば、原判決の二年八月の刑は重きに失すること明白である。
又、法律的主張として物品税の損金計上が、仮に認められないとしても、実質上の二重課税であり、本件における東京パブコ関係の法人税の実質的脱税額は約二億九、〇〇〇万円とみなすべきであることを考えれば尚更のことである。
弁護人においては、前記の事情及び被告人の性格から考え、被告人を社会より隔離するのではなく、社会的に活動させ、今日までに犯した罪を社会的奉仕により償わせるのが妥当ではないかと考えるものである。被告人には自己で更生できる力と条件は完全に備わっており、又、脱税額の高額さについても前記の事情を考えれば、あながち高額とはいえないこと考え、刑の執行を猶予する判決こそがなされるべきであると考える。万一、被告人に対し、右の如き判決がなされた場合、被告人の性格からしてより一層誠実にかつ自己の活動を社会に役立つものでなければならないという社会奉仕を旨とした生活を送るであろうことは明白である。
又、原判決は罰金二億円という多額の罰金を科しているが、前述した如く、被告人は約二〇億円にのぼる金銭を本件発覚後各方面に支払っており、自己の犯した罪については完全な回復をなしているものである。その如き事情を考えれば、前記の罰金は不当に多額であるといわねばならない。
<省略>